紀元前3世紀の中国を舞台とした「項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)」という歴史書があります。私は多くの方を尊敬をしているのですが、その一人が『劉邦』です。
この物語は、始皇帝の秦国が他の国を強引に滅ぼし中国を初めて統一するのですが、その始皇帝が亡くなったことで、せっかく多くの犠牲を払いながら統一した国が再び乱れだします。「項羽」と「劉邦」はその滅ぼされた楚国の同郷ですが、それぞれ別の理由で打倒秦国として立ち上がります。
「項羽」は、滅ぼされた楚国の大将軍の末裔で、品格に優れ、学識も高く、武に関しても誰よりも強く、そして部下たちも皆勇敢で、強い絆で結ばれていました。また、とてもイケメンで、「虞美人」という妻を一生一途に愛し続けたといいます。「項羽」はそのような立場で楚国再興というとても強い使命のもと立ち上がっていきます。
方や「劉邦」は、地方の小さな町でちょっとした役職にはついていましたが、たいして仕事もせず、毎日仲間達と飲んだくれた毎日を過ごしていました。また、ちょっと汚い言い方ですが、女たらしで、品格が全くない人物だったと言われています。「劉邦」はその役職の仕事で、始皇帝に命令された万里の長城建築に送ろうとした作業員が逃げてしまい、罰せられるのが怖くて自分も逃げ出し、そのことがきっかけで立ち上がっていきます。
この事だけで「項羽」と「劉邦」どちらがいいと聞けば、確実に皆「項羽」だと答えると思います。「項羽」からはすごい才能と未来を感じ、ついていくなら「項羽」を選びますよね。しかし、この物語の最後は「劉邦」が「項羽」を破り、漢国を建国し、約400年という長い平和な時代を築いていくこととなります。
四面楚歌という言葉があります。その言葉は「項羽」が「劉邦」に負けるときに、敵に囲まれた城の外から聞えてきた歌が、自分が命を賭けて再興しようとした楚国の歌だったことからきています。「項羽」の才能から未来を見ていた者達が、一人ずつ「劉邦」に寝返っていった結果といえます。「劉邦」にあって「項羽」になかったものは、人を許し、人を認めるという『寛容』な心でした。少しでも「項羽」に『寛容』な心があったならば時代は変わっていたかもしれませんが、「項羽」は昔の幸せで美しい祖国に誰よりも憧れていたのだと思います。しかし、その思いが強すぎたために少しの汚れも許せなかったのだと感じます。
「項羽と劉邦」の物語説明を長々と話してしまいましたが、自分の最後に、愛する楚国の人たちが自分の敵となり、そのことに気づきながら祖国の歌を聴いている「項羽」の気持ちを考えるととても苦しくなります。「項羽」も「劉邦」も本当に魅力的な人物だったと2300年前の偉人たちを心から思います。
「項羽」享年30歳!何だかだんだん「項羽」が好きになってきてしまいました(--)
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