甘えた人

世界

 先日、母の実家に住んでいる叔父さんと叔母さんにご挨拶に行ってきました。積もる話でお話し合いが長くなってしまったのですが、叔父さん、叔母さんから「お昼ごはんを食べていきなさい」と言われ、叔母さん手作りのコロッケを振る舞っていただきました。そのコロッケをとても美味しく感じながら食べていたのですが、その時「そういえば母もよく手作りのコロッケを作っていたな~」とフッと思い出してしまいました。

皆さんから不思議がられるかもしれませんが、私自身、実家に住んでいた頃の母の手料理をあまり覚えていないんです。いつも、この家やこの地域から出ていきたいとの思いが強く、高校卒業後、実家を離れることを強く望んでいたこともあり、食事というものの大切さを感じることができなかったのも一つの原因と感じます。

また母の料理からは、あまり思い出したくない思い出ばかりを思い出してしまいます。例えば、学校にお弁当を持っていった時のことです。蓋を開くとうなぎが乗っていたのですが、そのうなぎの皮の面を上にしていたことで、まるで蛇のように見え、クラス全員から「蛇丼」を持ってきたとからかわれたことや、カレーの味付けとしてコクや甘みを出すため擦りおろしたリンゴを隠し味で加えるのですが、そのリンゴを加えすぎて「リンゴカレー」になりとても不味かったことなど色々思い出してしまいます。

その時の母の思いとしては、私に少しでも良いものを食べさせてあげたいとの思いで作ったと思うのですが、私はいつも母に対して「こんなもの、食べられるか!」と怒鳴り、一口も食べずに残したのを思い出します。それ以外でも、学校等で少しでも嫌なことがあると、母に対して怒鳴りちらし、母の作った料理には一切手を付けず、挙句の果てはお腹が空いて隠れてポテトチップスを食べた記憶を思い出してしまいます! とても引いてしまうと思いますが、これが高校生まで実家で暮らしていた頃の私の現状です。

今、その頃の自分を考えると、少しのことですぐ悩み傷ついてしまっていたのですが、母はそのような私をすぐ敏感に感じ、必ず「何かあったの?」と言ってきました。しかし、素直でない私は、その言葉に苛立ち、当たる場所がない怒りを母にぶつけてしまっていました。そして、母も負けずに対抗してきたことで余計にエスカレートし、帰ってきた父親の二人がかりで怒られることを繰り返していました(父親も力で勝る自分より、母を守ることで精一杯だったのだと今では感じます)。

今思うと、亡くなった母には、本当に酷いことをしていたと今更ながら反省してしまいます。ですが、その頃の私は、母だけは何を言っても許してくれると、心の底で分かっていたのだと思います。要は甘えていたのだと思います。現在の私は、家族を含めすべての人に対して、言葉や関わりを考えてしまいます。甘えは許されません!そして許してくれません( >_< ) 当然私も大人になりました!!

そのような私の人生の中で、一番『甘えた人』が母だったのだと、今更ながら気づいてしまいました。

最後に、最近の私のモットーは、「出されたものは文句を言わず何でも食べる!」です。人は変わるものですね(^_^)

コメント

  1. りりぶん より:

    私も今子どもたちに甘えられ、まるで使い走りのように、まるで下女のごとく用事を頼まれています。

    そう、おっしゃる通り、絶対の安全があるからなのです。

    お母さんはやってくれる、守ってくれる、お母さんは許してくれる、絶対に見捨てない。信頼みたいなものですかね。

    でも、私自身体力も気力もだんだんとなくなり、最近で彼らがいないとホッとしています。
     

    私にはなかったから。絶対に安全な人が。 私がそうなれたこと、彼らに与えられたこと、

    悔いなし!

    • takasan より:

      りりぶんさんこんにちは。メールありがとうございます。

      私の母も、私との関わりに悩んで、傷ついていたと思います。
      母親だから傷つかないことはありません。母親も一人の女性です!
      安心は甘えとなり、そのわがままには気が付きません。
      気が付くのは、余程できた人間か、それが無くなったときですよね。

      現在の私も、子供たちの下僕です!!

      お互い無理せず進んでいきましょうね(^_^;)